画家の日記帳から
写真は記録を留める。デッサンは眼で感心(感動)を留める。
自分はこう見た。だからこう主張する(描く)。
だから、常に感性を研ぎ澄まして、
心引かれるものを描かなければならない。
それは、現在の私に云はせると、神様に祈る事が絵を描く事なのだ。
祈りを捧げる。(2004年11月27日)
年譜
1938(昭和13)年 | 1月12日 長崎県南松浦郡奈留町に生まれる。 | |
---|---|---|
1948(昭和23)年 | 10歳 | 父にイカ釣りに連れて行ってもらった夜、隠れキリシタンの「オラショ」を聴く。 |
1949(昭和24)年 | 11歳 | 島を訪れた絵描きに憧れ、その真似をして絵を描き始める。 |
1954(昭和29)年 | 16歳 | 長崎・海星高等学校に進学。この頃、日本キリスト教団・長崎教会にて洗礼。 |
1956(昭和31)年 | 18歳 | 画家になる夢をふくらませ、長崎の風景を写生。野口彌太郎、鈴木信太郎らに出会う。 |
1957(昭和32)年 | 19歳 | 海星高等学校を卒業。単身上京し、その年の10月、独立展に初入選する。 |
1958(昭和33)年 | 20歳 | 大学進学を断念し、アルバイトをしながら絵の勉強を続ける。 |
1959(昭和34)年 | 21歳 | 独立展に二度目の入選。以後、1962年・1968年を除き毎年入選する。この年から10年にわたり抽象画を描く。 |
1962(昭和37)年 | 24歳 | 古賀彌恵子と結婚。 |
1965(昭和40)年 | 27歳 | 石神井公園(東京都練馬区)の近くにアトリエを構える。 |
1970(昭和45)年 | 32歳 | 前年の長女誕生を機に「子供部屋」シリーズを描き始める。この年、次女誕生。 |
1971(昭和46)年 | 33歳 | 長女(当時2歳11ヶ月)が難病であることが判明。 |
1974(昭和49)年 | 36歳 | 生まれ故郷の海を思わせる「新月(三日月)」を発表。「五島の夜の海」シリーズが始まる。 |
1975(昭和50)年 | 37歳 | 第43回独立展で、奨励賞を受賞。以後、同展での受賞が相次ぐ。 |
1981(昭和56)年 | 43歳 | 第49回独立展で、「空の風景(エアレース)」を発表。「昼の風景」シリーズが始まる。 |
1983(昭和58)年 | 45歳 | 第51回独立展で、最高賞である独立賞を受賞。 |
1984(昭和59)年 | 46歳 | 第52回独立展で、独立美術協会の会員に推挙。翌年より同展の審査員となる。 |
1989(平成元)年 | 51歳 | 長崎で高校時代を過ごした経験を踏まえ、戦争と平和をテーマにした「昭和史」を発表。以後、10年にわたり「昭和史」連作を発表する。 |
1999(平成11)年 | 61歳 | 隠れキリシタンの洞窟をテーマにした「祈りの浜(中江の島)」を発表。 |
2000(平成12)年 | 62歳 | ヨーロッパの街並みを鳥瞰した「パリの日本娘」を発表。最晩年の「天使の連作」が始まる。 |
2003(平成15)年 | 65歳 | 心筋梗塞で3回にわたり入院。入退院の合間に「対話」(「天使の連作」第4作)を制作。 |
2004(平成16)年 | 66歳 | 「アンジェラス」(「天使の連作」第5作)を発表。 |
2005(平成17)年 | 67歳 | 7月17日午前5時頃、就寝中に虚血性心疾患により死去。就寝間際まで制作していた未完の大作「春」(「天使の連作」第6作)は、第73回独立展で公開された。 |
2006(平成18)年 | 10月、笠松宏有回顧展(東京セントラル美術館)開催 | |
2008(平成20)年 | 7月5日、五島市笠松宏有記念館が開館。旧船廻小学校(2007年3月閉校)の校舎を転用した。 |
- Home>
- 画家・笠松宏有